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おでんの始まりは、串に刺した豆腐の味噌焼き。
その名称は、串刺しの豆腐の姿が1本の竹馬で跳ねて踊る「田楽舞」に似ていることから、田楽→お田(おでん)となりました。
おでんは江戸の町で「屋台料理」として広まりました。
焼いた豆腐に味噌をつけて食べていたものから、こんにゃくや里芋が田楽に使われるようになり、これを煮込んだ「煮込み田楽」が江戸時代末期に登場。
この「煮込み田楽」が関西に伝わると、従来の田楽と区別するため、「関東煮(かんとうだき)」と呼ばれるようになりました。
(新井 由己氏の文章より抜粋)
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そして静岡のソウルフード「しぞーかおでん」。その歴史は大正時代に遡り、戦後の食糧難の折、それまで処分していた牛スジや豚モツを材料として煮込んだことで広まったとも言われています。
現静岡市の周辺には焼津や由比など新鮮な水産物を水揚げする港があり、練り製品の製造が盛んだったことも静岡おでんが独自の発展をとげた一因でしょう。 昭和30年代初頭には静岡市の目抜き通りに100を越える屋台が立ち並び、仕事帰りの勤め人の疲れを癒していたようです。
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その後の都市開発で屋台は姿を消しましたが、「青葉おでん街」「青葉横丁」という今も賑わうおでん街として残っています。 静岡おでんを大きく分けると「居酒屋系」と「駄菓子屋系」に分かれ、大人から子どもまで市民に広く親しまれています。
子どものころは学校の帰りに近くの駄菓子屋さんに寄っておでんを頬張った思い出を持つ方も多いのでは。大人たちも集い、世代を超えた交流が生まれていたのも静岡おでんの特徴です。
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