静岡おでんとは
静岡おでんとは


静岡おでん5ヶ条

黒はんぺんが入っている
黒はんぺん

江戸時代、静岡の料理人(河村はんべい)が作ったことから、はんべいと言われている

黒いスープ
黒いスープ

濃い口醤油を使い、牛すじでだしをとり毎日つぎたしをしている

串に刺してある
串に刺してある

串の色・形で値段が違うおでん鍋から好きな具材を選び食べ終わってから串で会計をしてもらう

青のり・だし粉をかける
青のり・だし粉をかける

お店によって青のりの割合が違う
だし粉とは・・・サバやいわしなどの削り節

駄菓子屋にもある
駄菓子屋にもある

おこずかいの中からおやつに買っていた
その他文具屋・海の家などにもあった



静岡おでんの種

味噌でんがく

おでんの始まりは、串に刺した豆腐の味噌焼き。
その名称は、串刺しの豆腐の姿が1本の竹馬で跳ねて踊る「田楽舞」に似ていることから、田楽→お田(おでん)となりました。
おでんは江戸の町で「屋台料理」として広まりました。
焼いた豆腐に味噌をつけて食べていたものから、こんにゃくや里芋が田楽に使われるようになり、これを煮込んだ「煮込み田楽」が江戸時代末期に登場。
この「煮込み田楽」が関西に伝わると、従来の田楽と区別するため、「関東煮(かんとうだき)」と呼ばれるようになりました。
(新井 由己氏の文章より抜粋)

そして静岡のソウルフード「しぞーかおでん」。その歴史は大正時代に遡り、戦後の食糧難の折、それまで処分していた牛スジや豚モツを材料として煮込んだことで広まったとも言われています。
現静岡市の周辺には焼津や由比など新鮮な水産物を水揚げする港があり、練り製品の製造が盛んだったことも静岡おでんが独自の発展をとげた一因でしょう。 昭和30年代初頭には静岡市の目抜き通りに100を越える屋台が立ち並び、仕事帰りの勤め人の疲れを癒していたようです。

青葉横丁

その後の都市開発で屋台は姿を消しましたが、「青葉おでん街」「青葉横丁」という今も賑わうおでん街として残っています。 静岡おでんを大きく分けると「居酒屋系」と「駄菓子屋系」に分かれ、大人から子どもまで市民に広く親しまれています。
子どものころは学校の帰りに近くの駄菓子屋さんに寄っておでんを頬張った思い出を持つ方も多いのでは。大人たちも集い、世代を超えた交流が生まれていたのも静岡おでんの特徴です。



静岡おでんの種

黒はんぺん
黒はんぺん

静岡人にダントツ一番人気のおでん種は“はんぺん”。
しかし、どこを見ても、おなじみの白いはんぺんは見当たらない。はんぺんを注文して出てきたのは“黒はんぺん”。これが「静岡おでん」の象徴。
「歯応えがある!」「おいしい!」 やってきたのは海産物の水揚げ量日本一を誇る焼津港。黒はんぺんの製造工程を昭和5年創業の黒はんぺんの老舗「山下商店」で見せてもらうと、黒はんぺんの正体はサバとイワシを使った練り物で、つみれに近いもの。骨も皮も取り除かずに使うので、色が黒く、カルシウムが豊富。
地元の人は、ほとんど毎日食べるというこの黒はんぺん。おでんだけではなくフライにしたり、身近な食材として親しまれています。 静岡おでんには欠かせない黒はんぺん。
日持ちしないため、その消費の9割が静岡県内です。

牛すじ
牛すじ



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